たかてぃんの日記【ワイナリー巡って日本縦断】

恥ずかしいので読まないでください。

実際にヒッチハイクをして思ったこと

どうも、ワイナリーを巡って日本縦断中のたかてぃんです。旅もようやく1週間が経ち、これまでに約20台の車に乗せていただきました。

 

そんな中で、もともとヒッチハイクには否定的な考えを持っていた僕にも色々と変化が生まれたのでまとめました。最後の方キャラ変わります。

 

正直、今の気持ちを保存しておくために書いてますが、1人でもいいから未来のヒッチハイカーに伝わればいいなあという思いも少しあります。またドライバーやその他様々な立場からの意見が貰えたら嬉しいです。

 

 

旅を始める前のヒッチハイクの印象

まず前提として僕はそもそもヒッチハイクには否定的な考えを持っていました。

理由は、単純にヒッチハイクが自分のわがままで他人に迷惑をかける行為であるからです。

 

ヒッチハッカー

・コミュニケーション能力があがる

・話のネタになる

・自分の自信になる

・色んな人と知り合える

・交通費が浮く

 

など、まぁ色んな目的でやっていますが、すべて自分勝手な都合であることを忘れてはいけません。ドライバーの方々にはなんのメリットもないわけです。興味本位、話し相手が欲しい、などの理由で乗せてくれる方もいますが、ほとんどは"善意"によって車を止めてくれています。

赤の他人の!自分勝手な都合に!自分の時間を犠牲にして!!!付き合ってくれてるわけですよ!!!!!

もしこれからヒッチハイクの旅に出ようとしている人がいたら、そこんところを頭に入れておかなくちゃあなりません。

 

 

なぜ僕はヒッチハイクという手段を取ったのか

基本的にヒッチハイクには否定的だった僕が、何故今回ヒッチハイクの旅に出たのか?

それは完全に"消去法"です。

ワイナリーは交通の便の悪いところにあることが多いです。公共交通機関を駆使して回るのには限界があり、基本的には車を利用することになります。しかしその場合、ハンドルキーパーがいないとワイナリーでの試飲ができなくなってしまいます。これだと僕の今回の旅の目的が果たせません。勿論この旅に向けて資金は準備しましたが、それでもタクシーは完全に予算オーバーです。

だけどワイナリーを回りたい…どうしても行きたい…ううぅ……(※そもそものこの旅の是非についてはここでは論じません)

このわがままを貫いた結果、部分的にヒッチハイクという交通手段を使うことによって国民の皆さんに迷惑をかけることとなってしまいました。

ただし、

・およそ10km程度だったら歩く

ヒッチハイクに拘らず、柔軟に公共交通機関を利用する

・自分から近づいていってお願いするようなことはしない

という自分ルールを設けております。

 

 

実際にヒッチハイクをやってみて

上述の通りヒッチハイクには否定的であったため、最初は申し訳なさでいっぱいでした。

ヒッチハイクを成功させるにはドライバーの心理を考える必要があるわけですが、そんな時に気づいてしまったのです。

 

僕「通り過ぎたドライバーさんたちは何を思うのだろう…?」

 

え、僕がドライバーだったらまずバツが悪くなるんだけど、、、え、、、

たとえ方向が違ったとしても、どんなに急いでたとしても、なんか悪いことをしたような気持ちになるんだけど、、、なにも悪いことしてないのに、、、

いわばあれですよ、駅前で小中学生が声枯らしながら募金活動をしてて、その目の前をスルーしていく感覚。

ここら辺は個人差がありますし、だからどうって訳でもないんですが、少なくとも僕はヒッチハイクしている青年をスルーした時に少しばかりの罪悪感を覚えるだろうと感じたわけです。

「そうか、乗せてもらった人だけでなく、乗せてくれなかった人にも迷惑をかけてる可能性があるんだな。」と思うと、かなり後ろめたい気持ちになりましたね。

 

おまけに、ヒッチハイクそのものが旅の目的でない場合、他の人が電車やバス、高速料金を負担して旅行しているところを、自分はお金をかけずに移動している、、、ずるをしている気にもなりますよ。

レストランやバーでめちゃくちゃケチるくせに図々しい客みたいな感覚ですね。

 

 

そんな訳で、旅を始めた当初は悶々とした気持ちを抱えていたのですが、実は今は少し違います。ヒッチハイクの旅について、少し前向きに捉えられるようになりました。

 

 

考えが変わった3つのきっかけ

この変化のきっかけとなった出来事を3つ紹介します。

 

File① とある町で出会ったネイリストの女性の話

こちらの方はヒッチハイクを通して出会ったわけではなくて、とある町の山中を散策している時に偶然一緒になったんです。ハイキング中にヒッチしたという意味ではヒッチハイクですね(笑)

この方がご好意で、町内では有名なGさんを介してこの後訪問するワイナリーの醸造家の方を紹介して頂けたんです。そして、Gさんと女性の方とワイナリーを訪ね、色々とお話を伺ったわけです。

そのお話の中でGさんは醸造家の方を「もはやアーティストだよね」と評していたんですが、実は女性の方もアーティストとしての活動もしており、そっちの方面で悩んでいたらしく、醸造家の方の話を聞いて参考になったと明るい様子で伝えてくれました。

 

「ああ、変化や成長を得ることができる今回の旅は、関わってくれた人々それぞれにとっても変化や成長のきっかけとなる、一種の非日常なのか。」

 

少し大袈裟かもしれませんが、そんなふうに思いましたね。だったら、少しでも相手の人生に何かのきっかけを与えてみよう。たとえ結果としてありがた迷惑になったとしても、きっかけを与えるという行為そのものには善し悪しの区別はできないのだから。そんなふうに。

だから自分なりに考えて、「○○さんは何かやってみたいこととかないんですか。」とやや煽ったり(←クソ生意気)、自分の持ってるお粗末な経験談を引っ張りだして話を振ったりとか工夫しています。

もし仮に迷惑に思われても、なにかのきっかけになってくれたらそれはそれでいいんじゃないかと。

 

長々と書きましたが、これが1つ。

「人の人生にも何かを残す」

 

File② 道の駅で拾ってくれたおっちゃん

こちらの方は1回通り過ぎてからわざわざ戻ってきてくれました。しかもお昼ご飯までご馳走になりました。重ね重ねお礼を申しあげたところ、最後に

「こっちの方が感謝したいくらいだよ!👍」

なんて言われました。

ワイン好きの友達にプレゼントを渡したかったらしく、けれどもあまりにも高いワインを渡すのもどうなのかという時に、ちょうど良さそうな日本ワインを紹介したら大変に気に入ってくれて、それが知れただけでも今日乗せてよかったっと言ってくれました。

向こうも大人の方なのでお世辞で言っていると言われたら否定はできないのですが、、、

 

これはまぁ1つ目と同じことなんですが、

「相手にとって価値のある時間を提供する」

 

意識してやろうとするとなかなかに難しいですね。結構頭使います。自分の話をした方がいいのか、相手の話を聞いた方がいいのか、相手がどんな人なのかを短い時間で察知しなければなりません。ただ相手に、「乗せてよかった!」と思わせるような何かを提供しなければヒッチハイクをする資格はないんじゃないか、いや、むしろそれさえできればヒッチハイクは双方にとって意味のある営みになるのではないか、そう思うようになりました。

 

File③ 感謝の気持ちがMaxまで達し、申し訳なさを上回る

申し訳なさの気持ちというのは旅を開始した時点でほぼ最大値に達していたわけです。んで通り過ぎて行った車に対しての申し訳なさを感じ始めた辺りから最大値に達しました。

しかしその後、車に乗せてくれるばかりでなく、頑張ってと言ってくれたり、コーヒーや肉まんを差し入れてくれたり、また絶対来てくださいと言ってくれたり、人々の優しさや温かさに触れる内に少しずつ感謝の気持ちが蓄積されていきます。いや少しずつではないですね、「爆発的」に蓄積されていきます。

そうするといつの間にか、感謝が申し訳なさを上回り、ある意味開き直れます。どうやったって迷惑をかけるのだから、だったらその後のことを考えようと。どうやったら恩返しができるか。

上記2つも恩返しの1つとして含まれていると思いますが、最大級の恩返しはやはり僕がその先の人生で結果を残すことですね。

僕を乗せたという「事実」が僕を乗せたという「実績」になるよう。

さらにはドライバーの方々は無条件に自分の旅やその先の夢を応援してくれる。その方々の期待も背負って進んでいかなければならないんです。

 

「その後の人生で恩返し」

 

 

まとめ

相手にとっても非日常の出来事であることを理解し、価値ある時間を提供し、その後の人生で恩返しをしていく。

僕はこれらをすることがヒッチハイクのマナーだと思っています。

 

ヒッチハイク マナー

で検索すると、寝ないとか清潔感に気を使うとか出てくるが、そんなん当たり前すぎてなんの参考にもならんだろ、、、

まことに皮相浅薄なり。実際にヒッチハイクをした人が伝えるべきことってそんな表面的なことじゃなくて、もっとこう自分の五感を通して感じた物事に対して考察を重ねた先に辿り着く、より深淵的で本質的な紛れもない自分自身の考えではないのだろうか。

ヒッチハイクという行為は、利害関係を超越し、人の善意というものに直に触れるのだから、もはや哲学の領域である。ヒッチハイクとは哲学である。

きっとヒッチハイクをする真のメリットはそこにあるのではないのか。否、メリットなどという軽い言葉では済ませない。ヒッチハイクの内在的価値。それは自信がつくやら人の出会いがうんたらやそんなことではない。普段得ることの無い非日常の体験から帰納的に本質や真理へと近づく。人生を豊かにする哲学への入口として存在するのだ。

 

人々にとってヒッチハイクがより良きものとなるよう願って、筆を置くとする。